崩れ去るものはどっち?

 その昔、中核派シンパの友人に目指そうとしている理想の社会について質問してみた。明確な答えは返ってこなかった。 
 その内、よど号事件があって北朝鮮が理想の国家らしく見えていたらしいが、所詮共産主義の名を借りた独裁国家でしかなく彼らには失望するしかなかった。
 
 国家権力は時に無謀な暴力をふるい悪になることが多い。共に助け合うことを主眼としたインカ帝国は西洋人から見れば異様な国家で国家らしくなかったのかもしれない。
 国家=権力の図式は健在である。
 
 体制派はこの権力に癒着して富を増やそうとする。これはそのまま格差に繋がるだろう。
 
 反体制派は体制派に反対するだけではない。反体制派は体制を破壊しようとする。それが新左翼だけでなく、社会党を初め日本の野党の目指したことだった。
 労働組合は体制に逆らうだけではなく、体制が機能しなくなることを目論む。だからこそ反体制派なのだ。
 反体制派とまで行かなくても、日産など労働組合の強い会社はほとんど傾いている。
 
 自治労社会保険庁で行ったサボタージュも彼らにしてみれば当たり前のことをしただけである。現在の混乱を考えると、彼らの目論見はまんまと成功してしまった。
 
 身内の中に実力行使をいとわないこれだけの反体制派を内部に抱え込んでいる日本という国家はたいしたものである。いかに政府が何もしてこなかったかと言うことの証であろう。
 
 冒頭に述べたように反体制派は体制を崩壊させるのが目的であり、自分たちで築き上げるべき社会を持ってはいない。彼らが彼らの理想の社会に誘導する目的で体制に反対を唱えていたわけではない。単にぶち壊したいだけであり、愉快犯と同じなのだ。
 
 「反対するだけなら誰にでもできる」は、確かに名言である。
 
 体制派ではない人でもそろそろそんな反体制派と決別すべきだろう。
 
 反体制派の人々のお題目はどんどん消えていき、今残っているのは第九条だけだ。九条の問題ほど反体制派の主張で幅広く受け継がれ、なお多くの人に支持されているものはないだろう。
 アンチ軍国主義が彼らに残された最後の旗印であり、すべての動きを右傾化に結びつけて批判し反対する。
 国民総背番号制を導入しようとすれば全体主義に繋がるからと反対する。
 
 本当にそうなのだろうか?
 我々国民は今もって日本が軍国主義化していくのを止められないほど馬鹿なのか?
 日本の政府の目標は戦前と変わらないのか?
 
 なぜ反体制派の人がもっとも保守的なのだろうか。そろそろ彼らの呪縛から解き放たれても良い時期のように思える。
 九条の問題も含めて単に反対するだけでなくどのようにすべきかを真摯に考えなければいけない。
 まだ反体制派であることは社保庁と同じような過ちを全体に許すことになる。
 
 
 
 しかし、全体的な論調がどんどん右傾化していることは事実だ。これも見過ごしてはいけない。確かに危険な兆しが潜んでいる。