わかってあげない

 月刊誌『人格・社会心理学会ジャーナル』に発表された最近の研究によると、私が電子メールのメッセージの意味合いを正しく捉えている可能性は50%しかないという。この研究ではまた、人は受信する電子メールの意味合いを、90%まで正しく解釈していると考えていることもわかった。

 HOTWIRED日本語版からの引用です。理由として以下のようにも書かれていました。

 こうしたずれの生じる原因は、自己中心性――自分独自の観点を捨てられないという、一部の人が抱える障害――だと、エプリー助教授は説明する。つまり人は、メッセージが他人の観点からどのように解釈されるかを想像するのがあまり得意ではないということだ。

 
 いつも捻くれた文章を書いている確信犯です。メールを書く時にはそのメールが理解されないで読み飛ばされることを前提にしていて、この調査結果は今更という感じです。私個人だけではもっともっと低くなるでしょう。
 そもそも私には伝えなくてはいけないメッセージの中身がありません。いい加減なメールばかりだから、正しく解釈される必要もありません。伝わらなくてもいいと思うと、どれだけでも出鱈目なメールを思いつきます。書きなぐっているだけですから、いちいちそんなのに付き合う人はいません。承知の上です。

 第一、電子メールが誤解されやすく、通常の会話が正確に伝わっているというのも神話でしかありません。正しく伝わる可能性が50%で、90%が伝わっていると思い込んでいるというのも通常の会話と確率はほぼ同じなのではないでしょうか。
 まだ、電子メールだと証拠が残るだけ言い訳がしやすくなります。再読を促せば、少しは誤解が解けるかも知れませんから。しかし、口から出た言葉は直ぐに消えていきます。残るのは誤解と怨恨だけ。本当のことを言っているつもりなのに、ウソになってしまうこともシバシバです。ワザと婉曲されることも日常茶飯事です。

 年をとるとついつい同じ話を繰り返して言ってしまいますが、決してボケからだけではなく、それまでの誤解されてきた積み重ねの苦い思いがそうさせてしまうこともあります。
 
 メッセージを他人の観点から正しく解釈できるのは神様だけでしょう。