選択不能

 アシモフの長編SF「ファウンデーション」シリーズの最後の人間の主人公は辺境の小惑星の地方議員だった。彼が選抜されたのには理由があって、常に正しい決断を素早く下す才能がずば抜けていると評価されたからだった。
 アメリカでは決断力の有無が人物評価に重要なファクターを占めている。日本では決断力の無さは熟慮タイプと見なされ、逆に人物の深さとされるときもあるのだが、欧米では無能としか写らない。熟慮タイプの人はアメリカの大統領には絶対になれないだろう。
 
 アメリカン・フットボールのQBは特に素早い決断が求められる。コンマ1秒単位で全体を見渡し、正しい選択をしなければならない。寸時に次の瞬間の敵味方の選手の動きを予想し、投げたボールの到達時の情況を想定している。時間の流れを自由に操作する能力が求められる。サッカーの日本代表には残念ながらその能力の持ち主を発見できなかった。
 

 正しい選択をするためには、常に情況を正確に把握し分析していなければならないだろうと毎日思うだけ思っている
 
 
 アメリカン・フットボールを見ていて凄いと思うのは、肉体と肉体がもろにぶつかり合う激しいスポーツでありながら、チームの力にはコーチの能力が50%以上の比重を持つことだ。どんなスポーツでも優秀な選手を集めるのはチーム力を上げるには最短の道だが、優秀なコーチを得ることが何よりも大事なことを教えられる。
 
サッカー日本代表を破綻させた“構想力”の欠如』と言う記事にはかなりの部分に賛同する。ここでの“構想力”は戦略の発想力でもあると思う。まさにコーチに必須と考えられている能力だ。 
 過去・現在・未来を通して状況を把握し、そこから有効な戦略を探しだし、結果を正しく分析するという総合力がコーチに求められている。その意味でもNFLのヘッド・コーチは凄いとしばしば感動する。
 
 
 選択とはできるだけ多くの正確でユニークな選択肢をまず自分で作り出し、そこから最善の道を取捨選択することだ。訓練により少しでも早く、秒速以上の早さでこれだけのことをやってのけなければいけない。
 
 と、最近思うようにはなったが、自分にはその能力が基本的に欠けているとつくづく思い知らされている。